新羅三郎義光が京都の祇園社を1083年に勧請したと伝えられています。新羅三郎義光...源義光は河内源氏二代目棟梁の源頼義の三男で、近江国の新羅明神で元服したことから「新羅三郎」と呼ばれます。義光は甲斐源氏の初代当主で、有名なところでは武田信玄や平賀朝雅もその子孫の一人です。
「新羅三郎 手玉石」
鎌倉最古の厄除け神社だそうです。
新羅三郎義光が、後三年の役で苦戦を強いられていた兄である八幡太郎義家を助勢するために赴く途中、立ち寄った鎌倉で疫病が流行し住民が難儀していることを知りました。そこで厄除神として霊験の聞こえた京都の祇園社を勧請し、篤く祈願されたところ、たちまち悪疫退散し、住民は救われた...ということです。
「拝殿」