高倉観音からおよそ10km...源頼朝伝承も残る「木更津総鎮守 八剱八幡神社」へ。
木更津駅からも徒歩圏内。街中にある、日本武尊ゆかりの神社です。
社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した...
日本武尊御東征の折り、相模国より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃弟橘媛が、「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふなり」と海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる...
悲しいけどロマンがありますね...。
悲しいけどロマンがありますね...。
「手水舎」
御祭神は誉田別命(応神天皇)・息長足姫命(神功皇后)・足仲彦命(仲哀天皇)・素盞鳴命・日本武尊。
↑↑↑ は江戸時代(1825年)、↓↓↓ は昭和時代(1984年)の狛犬だそうです。
「拝殿」
「本殿」
境内にギリギリ間に合った?ような感じの紅葉が...。
そして、私的に触れないわけにはいかないネタ...源頼朝が鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営し、源頼朝「お手植えの蘇鉄」も境内にあります ↓↓↓
源頼朝「お手植えの蘇鉄」
どうやらここに直接植えられたのではなく、後年譲り受けたようですね ↓↓↓ どちらにしても、源頼朝ゆかりのものが現存しているというのは嬉しいですね。
「社務所」
こちら ↑↑↑ で御朱印(書き置き)いただきました ↓↓↓
「八剱八幡神社・御朱印」
この後は、内房沿いを一気に南下!鋸南町の「源頼朝上陸地」を目指します。