2022年12月10日土曜日

木更津総鎮守 八剱八幡神社 <令和4年12月>

高倉観音からおよそ10km...源頼朝伝承も残る「木更津総鎮守 八剱八幡神社」へ。

80ハリアー

 木更津駅からも徒歩圏内。街中にある、日本武尊ゆかりの神社です。




社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した...

鳥居

日本武尊御東征の折り、相模国より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃弟橘媛が、「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふなり」と海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる...

悲しいけどロマンがありますね...。

手水舎
「手水舎」

御祭神は誉田別命(応神天皇)・息長足姫命(神功皇后)・足仲彦命(仲哀天皇)・素盞鳴命・日本武尊。

狛犬1

↑↑↑ は江戸時代(1825年)、↓↓↓ は昭和時代(1984年)の狛犬だそうです。

狛犬2


拝殿1

拝殿2
「拝殿」

本殿
「本殿」

境内にギリギリ間に合った?ような感じの紅葉が...。

紅葉1

紅葉2


そして、私的に触れないわけにはいかないネタ...源頼朝が鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営し、源頼朝「お手植えの蘇鉄」も境内にあります ↓↓↓

源頼朝「お手植えの蘇鉄」1

源頼朝「お手植えの蘇鉄」2
源頼朝「お手植えの蘇鉄」

どうやらここに直接植えられたのではなく、後年譲り受けたようですね ↓↓↓ どちらにしても、源頼朝ゆかりのものが現存しているというのは嬉しいですね。 

源頼朝「お手植えの蘇鉄」説明


社務所
「社務所」

こちら ↑↑↑ で御朱印(書き置き)いただきました ↓↓↓

八剱八幡神社・御朱印
「八剱八幡神社・御朱印」

こちらは、神護寺でいただいた伝源頼朝像の御朱印帳に貼らせていただきました。

この後は、内房沿いを一気に南下!鋸南町の「源頼朝上陸地」を目指します。

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