2023年7月29日土曜日

井草八幡宮 <令和5年7月>

高幡不動尊金剛寺を出発し、ルートをナビに丸投げ (^◇^;) 杉並にある、源頼朝ともゆかりのある井草八幡宮へ...。

若い頃にさんざんウロウロしていた調布や三鷹を通過...ハッキリ覚えている交差点名や、昔ながらの施設や建物はあるものの、道そのものも景観も違いすぎて全くピンときません (^◇^;) もう30年近く経ってるんだから仕方ないですね。

80ハリアー1
予定していた南駐車場には道路工事のため入れず、北駐車場へ。でもココは大鳥居の目の前 ↓↓↓ 逆にラッキーでした (*^◯^*)
大鳥居〜東参道
大鳥居〜東参道
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境内案内図
とてもすぐ近くに早稲田通りと青梅街道があるとは思えない静かで趣のある八幡宮...この時点でもうお気に入り認定 (^.^)

東参道
東参道
楼門
楼門
手水舎
手水舎

善福寺川の源流部に鎮座する古社井草八幡宮創建当時は春日社をお祀りしていましたが、1189年、源頼朝公が奥州藤原泰衡征伐の際に戦勝祈願をして立ち寄ったと伝わっており、それ以来八幡宮を奉斎するようになったそうな。

頼朝公御手植の松1
頼朝公御手植の松2
頼朝公御手植の松
奥州平定後、源頼朝公が報賽のため手植えしたと言われる「頼朝公御手植の松」のこちらはその末流にあたる2代目だそうです。

1193年、頼朝公は社頭に雌雄2本の松を御手植。雌松(赤松)は明治時代に枯れてしまい、雄松(黒松)は約800年間、井草地域の標徴として仰ぎ見られ、東京都天然記念物にも指定されていました。高さ約40m、周囲約5mの威容を誇っていましたが、昭和47年の強風後衰弱し枯れてしまったそうです。

その大松の衝立が回廊内にありました ↓↓↓
「頼朝公御手植の松」の衝立1
「頼朝公御手植の松」の衝立2
「頼朝公御手植の松」の衝立


神門
神門
狛犬
拝殿1
拝殿2
拝殿
立派な社殿...ゆっくり参拝することができました o(^▽^)o


神門向かって左の授与所で御朱印いただくことができます。
授与所
授与所

今回いただいた御朱印がコチラ ↓↓↓
井草八幡宮・御朱印(書き置き)
井草八幡宮・御朱印(書き置き)
社殿の描かれた素敵な御朱印...源頼朝ゆかりということで、神護寺でいただいた伝源頼朝像の御朱印帳に貼らせていただきました。


井草八幡宮・御朱印
井草八幡宮・御朱印
↑↑↑ この直書きの御朱印は... ↓↓↓ 今回いただいた「“源頼朝-遅の井伝説”御朱印帳」の最初の項にお納めされています。ネット上で調べてもあまり情報がなく、今でも頒布されているのか?不安だった頼朝公の描かれた御朱印帳...頼朝鼻息の私としては、どうしても欲しかった...(^O^☆♪ 今後は東京の神社用の御朱印帳にしようと思っています。
井草八幡宮「源頼朝-遅の井伝説」御朱印帳
井草八幡宮「源頼朝-遅の井伝説」御朱印帳

ちなみにこの「遅の井伝説」というのは...

源頼朝公が二十八万四千の大軍を率いて奥州藤原氏征伐に向かう途中にこの地に立ち寄りましたが、折悪しくも旱魃のため将兵の飲水に困り、源頼朝公自ら弓の本筈で地面に穴を穿ち、水を求め、七度目でようやく水が湧き出しました。しかし、水の出があまりに遅かったので「遅の井」と名付けたと言われています。この井水が善福寺池の源泉となり、当地を遅野井と呼ぶようになったと伝えられており、当社も古地名を冠し遅野井八幡宮と言われておりました。

ということで、1840年に上井草村の本橋氏が奉納した「板絵着色遅ノ井伝説図」に描かれた源頼朝公がこの御朱印帳のデザインになっています。

80ハリアー2

このあと寄るつもりだった「遅野井の滝」のある善福寺公園には予定していたコインパーキングが満車だったため断念 _| ̄|○ 。いつか公共の交通機関を使って行きたいと思います。

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